2018.7.12
庭屋一如(ていおくいちにょ)とは何だろう?
どーもニコです。
今日は最近考えていることの整理をしようと思います。
メモの代わりにブログを使用しちゃいますがお許しを。
私が「庭屋一如」という言葉を知ったのは5年前、
事務所の建築の際に、庭を作ってくれた友人の庭師から聞きました。
その時は「庭と建物は一体である」と理解しましたので、
「それは自分自身が建築設計をする際にいつも心がけていることで、
当たり前のコトだよな~。」くらいにしか考えませんでした。
私が建物を設計する時にいつも心がけていることは、
「外部環境をいかにして内部に取り込むか」です。
最近、漢文を読む機会があり、改めてこの言葉の意味を考えてみました。
「庭屋一如」の「如」は「~のままである」という意味だそうです。
そうすると以下のように考えることが出来ると思いました。
庭:人の暮らしに関わる外部環境=自然環境
屋:人の暮らしに関わる内部環境=居住環境
一如:一つのままである
「自然環境と居住環境は一つのままである」 ということになります。(←あくまで私の持論です)
この文からしますと、そもそも自然環境と居住環境は一つなのです。
もともと一つのままですし、これからもずーっと一つのままであるということだと思うのです。
なので、そもそも分けて考えるという発想自体が無かったわけですね。
おそらく私はこの部分が今までは明確ではなかったので、
なんとなく本能的に自然なものを好み、
自然環境の再生のお手伝いなどもしていたのだと思います。
ようするに良い居住環境を作るには、
良い周辺環境も同時に作らないといけないということです。
自然環境が地球規模で悪化している昨今、
建築設計者として自然環境の再生に関わっている意味を明確に出来たように感じます。